こげついてます。

わすれっぽい人生のために

震災のはじっこで。

水無

ゆらゆら揺られながらなんとなく思ったことを忘れないようにメモ。
誰かに何かを言いたい訳じゃないので読むだけ無駄ですよ。

2011.03.11

余震おさまらぬ中、皆さんご無事でしょうか。私は悪運強く生き延びております。
地震発生当時は職場にいました。おかげさまでしっかりしたビルだったので、小物が少々倒れた程度で物損もなく無事でした。当日朝、激しく寝違えてしまい歩くのも辛かったので、揺れがものすごくこたえましたが。


その後テレビをつけてニュースを見ていました。徐々に明らかになっていく被害状況・・・とはいえこの時点で詳細なことは全く分からなかったのですが、とにかく大変なことになったのは明らかでした。


都内の鉄道は一時すべて止まってしまい、帰宅時間になると車道には車が、歩道には人があふれかえりました。2時間半かけて歩いて帰りました。不思議と疲れは感じませんでしたが、やはり首が痛かった。なんでこんな日に・・・。

いつもと同じようで違う

土日は、東京は不思議なくらいいつも通りでした。いえいつも通りではありませんでした。近所のスーパーやコンビニから、飲料水、すぐに食べられる弁当、おにぎり、パン、保存のきくカップ麺などが消え失せました。あとティッシュ類。料理オンチで基本的に自炊をしないぼくにとっては一大事です。


また、福島の原発は自動停止したもののうまく冷却できない状態が続き、あまりかんばしくない状況であるとの報道をずっとやっていました。国内初の炉心溶融とみられる、とのこと。


Twitter を眺めていると、励まし合ったり、被災地からの無事を知らせるツイートに喜んだり、ニュースをみて不安をあらわにしたり、災害対応に当たってる当事者をねぎらったり批判したり、善意の運動を起こそうとしたり賛同したりそれを批判したり・・・。


ここで、政府の対応や善意の*1運動、それぞれがいい悪いと言うつもりはありません。


思ったのは、災害が起こったことで、この社会にいつもとは違う方向から光が当たり、それによって普段は陰になっている部分が輝くこともあれば、新たな陰が浮き彫りになることもあるということ。災害なんてもちろん起こらない方がいいけど、起こってこそ分かることもあるんだなあと。


あとこんな時だからか、みんな心に余裕が無くなってるように感じます。ささいなことに突っかかっていくのをよく見かけました。そういうぼくも、ささいなことでイライラしてます。でもきっとみんなそれぞれいつもよりストレスを抱えているんだろうし、こういう時だからこそ広い心を持ちたいものです。

ともかく

被災地の一日も早い復興をお祈りしております。

*1:少なくともその人の善意からの