こげついてます。

わすれっぽい人生のために

質問されているのに答えが返せない理由

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@makama がこんな記事を書いているのを見かけて、
> 質問されてるのに答えが返ってこない
については、「ああ僕もそうだったなぁ」と思ったので、自分がなんでそうだったのかを紹介しておこうと思います。
あくまで僕の場合ですので、その方に該当するとも限りませんけど、経験談かなにかだと思っていただければ。

『答え』は『正解』じゃなくてもいい

僕も昔(二十歳前後まで!)はこんな感じで、主に親の質問に黙りこくってしまう子供でした。
しびれを切らした親から「なんでこんな簡単なこと答えれへんのや!口ついとるやろ!脳みそは生きとるうちに使わないつ使うんや!」とゲンコツを頂戴しながら、僕も同じように「いま考えとったんやもん・・・」と目に涙を浮かべて言い訳したものでした。


結論から言うと、僕が答えが出せなかったのは、
「『正しい回答』をしなければならない」
と思い込んでいたからです。


どんな質問にも答えられないという訳ではないです。
「30 円のお菓子を 1 つ買って 100 円玉を 1 つ支払ったらおつりはいくら?」のように、明確な『正解』のある質問には答えられます。算数は得意でした。


答えられない時の質問はたいてい「あれをこうするにはどうしたらいいと思う?」とか「どうしてこうしたの?」とか。
質問者からすると、僕がどう考えているのか、何を思っているのかという情報が欲しいだけだったりするのに、存在するかどうかもわからない『正解』を探そうとするから答えられない。
僕はそれに気づいていないので、なぜ答えが出ないか分からず困惑するのです。


極端な例を挙げるなら、たとえば「雨が降ってきたらどうしたらいい?」と聞かれたとします。
普通なら「傘させばええやん」とか答えると思います。当たり前のことです。
でも答えられないんです。


傘をさせばいいかもしれない。でも雨合羽という手もある。ひょっとしたら走っていけばどちらも使わなくてもたいして濡れないかもしれない・・・どれが『正解』だろう?


どれだって好きなのを答えればいいし、思いついただけ全部答えてもいいんです。けど「正しい答えはどれか一つ。それを答えなければならない。」と思い込んでいるので、答えられないわけです。
今となっては自分が何故そんな風だったのかよくわかりませんが、とにかくそう思い込んでいたのです。
思い込みというのは恐ろしいです。病気だと思い込むだけで病気になったりするらしいですし、皆さんご存知のとおり、麦茶だと思い込んでめんつゆを飲んだときの衝撃は計り知れません。


実は深い考えもなしになんとなくやってたことを「なんでその方法でやってるの?」とか聞かれると、もうパニックです。「なんでそんなこと聞くの?」と目に涙を浮かべて言い返したくなりますが、質問に質問で返すのはマナー違反なのでできません。
せめて「なんとなくです」って素直に言えればいいのに、なぜか言えないんですよね。


質問者はそんな考え方をしていると思っていないので、「なぜこんな簡単な事がすぐ答えられないのか?」と疑問に思います。ついには、「こいつは頭が悪いのではないか」などと考えたり、感情的になったりしてしまいがちです。


そうして、質問者から「なんでこんなことも答えられないんだ」と言われるごとに、下手な回答をしたら怒られるんじゃないかと回答することが怖くなっていきます。
「自分は無能なんじゃないか」とすら思えてきて、ますます自信がなくなって、ますます回答できなくなります。
悪循環です。


ここから抜け出すためには、「答え」は「正解」じゃなくてもいいということに気付く必要があります。
たぶん言葉でそう言われても本人にはピンと来ないと思いますが、残念ながら僕がどうやってこのことに気付いたのかは忘れてしまいました。
正解じゃないかもしれないことを口に出せるようになるには訓練も必要でしょうね。


今では、僕は幸か不幸かとてもいい加減な人間になることができまして、どうにか普通の受け答えができていると思い(込んで)ます。
まとまりも結論もない文章ですけど、その方がほんとうは有能な方なのだとしたら、こんなことでつぶれてしまうのはもったいないなーと思いました。